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板列公園に偉人の業績
 今日の新聞記事で
板列公園内の石碑の記事がありました。

「真名井純一翁彰功碑」といい、江戸文政年間に
岩滝の豪商、山家屋に生まれた小室利七(後に真名井純一に改名)
の業績を称える碑であります。




後には板列稲荷神社があります。

 真名井純一[本姓小室利七]は文政12年(1829)岩滝村に生まれた。生家の小室家は山家屋と称し、代々廻漕問屋、生糸縮緬の販売を業 とした小室一族の宗家であった。先代利七の時代の山家屋は持船三十八艘で、縮緬の原料生糸を買収して機業に貸与、織上がった縮緬を京都に送り三井、下村等 に売却するを兼業としており、丹後における山家屋の機屋は数百軒にのぼり、そのために文政5年(1822)の大一揆において襲撃、打ち壊された経過をもつ 地方の豪商であった。
 家を継いだ彼も縮緬の原料である生糸商いのため日本海で活躍していたが、万延元年(1860)米沢で製糸について学び、私費で製糸伝導所を開くなど丹後 地方での養蚕の奨励、良質生糸の製造に努め、明治9年(1876)、宮津の銀細工屋兼大工の中本藤右衛門の協力を得て、奥州座繰器(胴繰座繰)、上州座繰 器(角枠手引・丑首座繰)に改良を加えた新しい座繰器械を発明した。
これが真名井座繰器と呼ばれるもので、多条繰糸機が実用化されるまで、広く蚕糸絹業界で活用された。この真名井座繰器は、上州座繰と あまり変わらないが、主な改良点は、ゝヽの運転を右手廻しにした回転を円滑にするため歯数を増やし、歯形をインボリュート曲線としたケンネル撚を別 装置としたど盞りとしたなどで、性能が良く漸次他の器械を圧倒、使用は全国に及び我が国の製糸業発展に大きな足跡を残すことになった。
 なお、真名井とは古来より丹後に縁の深い呼称で「たなばた天女」で知られる名峰磯砂山の別名でもあり、比沼麻奈為神社(峰山町久次)、豊受大神が降臨し た真名井原(現府中地区)や真名井神社(宮津市中野)など、農耕、機織り、醸造等の伝説的産業神と深く結び付いている。 さて、小室利七は若い頃私財を投じて現在の与謝の海病院南側付近を埋立て、真名井新田を完成させている。後年、それにちなんで「真名井純一」と名乗ったと伝えられているが、丹後の産業神としての由縁を知った上のことであったろう。


以上 京都府織物・機械金属振興センターの資料より

 



私はすぐ近くに住んでいて、子どもの頃より虫捕りや花見で
自分の庭のように慣れ親しんだ公園なのですが
恥ずかしながら云われもうる覚えであり、
今までしげしげと眺めた事もありませんでした。



新年の大雪で、無残にも折れた桜の太い枝が散らばった公園内
今年は花の付きが心配です。





桜の名所ですが夏には見事に咲き誇る大きな1本の百日紅
大きな枝が被害に遭っていました。





奥には昭和2年に起きた丹後大震災の供養塔があります。
今月7日の震災記念日にはここで供養が行われます。




この公園は他にも石碑がいっぱいありますが
岩滝の歴史に詳しい人に聞かないと解りません。



織物の功績を称える碑はもう1つあると聞いていましたが、
これがそうであろうと思います。



板列(いたなみ)公園入り口に、昭和12年(1933)建碑の
千賀由吉(よしきち)翁顕彰碑があります。

 碑文は当時の丹後縮緬工業組合理事長津原武の撰で、翁ハ元治元年岩滝ニ生マル祖業ヲ継デ縮緬ノ製織ヲ営ミシガ夙ニ動力撚絲ノ発明ニ志シ彫心骨明治二十 六年ヨリ同四十一年ニ及ヒテ錘及管ヲ改良シ水力ヲ利シテ縮緬原絲を強撚糸スル法ニ成功シタリ、云々と記してあり、八丁撚糸機を水車動力用に改造、発明した 功績を称えている。 
 ところで、我が国では水車を潅漑のための揚水用から、精穀用などの動力源として活用し始めるのは江戸時代中期からである。 また、水車を利用して初めて撚糸機を動かしたのは、桐生新町の大工、峯岸勝右衛門方に寄宿していた下総国結城の住人岩瀬吉兵衛で、彼は西陣撚車に改良を加 え、天明3年(1783)に水車動力の八丁撚糸機を発明したと伝えられている。
 その後、桐生では文政7年(1825)に水車動力の績屋(賃撚り屋)が誕生、各地に撚糸機が伝わり神奈川の半原、上州の前橋などでも嘉永年間(1848〜54)頃より水車を利用した撚糸が行われている。

さて、岩瀬吉兵衛から百数十年後の千賀由吉の時代、まだ丹後に水車動力の八丁撚糸機はなかった。如何に情報が遅々としていたといっても世は明治、他産地では糸繰機や撚糸機を水車で動かしていることを、丹後の機屋も聞き知っていたに違いない。
 では、百年以上も前に桐生で考案された水車動力の八丁撚糸機が、何故丹後に入らなかったのだろうか。
 それは、八丁撚糸機の形態や構造が若干異なっていたためで、このことは織成している製品にも深く関係していた。
 一般に丹後式の八丁撚糸機は桐生式に比べて大型で、手回しには大変な労力を要したが、太繊度糸の加撚に適する機能を持っていて、現在でいう古代ちりめん や鬼シボちりめん風のシボの大きい当時のちりめん(後の古浜ちりめんなど)や流行商品の絹紡ちりめんに最良だったからである。
 千賀翁の水車動力改良八丁撚糸機の詳細は不明だが、現在では少なくなった大車式八丁撚糸機と余り変わらないものだったろうと思われている。
 この、撚糸機が丹後産地で本格的に稼働し始めたのは大正5〜6年(1916〜17)頃からといわれており、電気が導入されても、経費的な問題で水車や石油発動機などと共存されていたという。


以上も京都府織物・機械金属振興センターの資料より




桜の名所であると共に、丹後の産業の発祥の原点を伝える公園であると
改めて誇りを持ちました。

地域で守って行かねばなりませんね。



私の保存会が受け継いでいる「岩滝の獅子神楽」も文政年間に伝わったもので
伝承者である伊勢の「弥作太夫」という人も、岩滝の豪商が名声を高めるため
見せ物で連れて来たという説も語り継がれています。

23:53 製織と技術 糸 清 comments(0) trackbacks(0)
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